2014年2月24日月曜日

かわいい手芸

 
これまで下田直子さんという作家を全く知りませんでしたが
母に勧められて展示を見に行ってきました。
 
それが予想以上にステキな展示でした。
 
刺繍、編み物、ビーズ、フェルトを使って
鞄や服やアクセサリーなどなど。
そのどれもが図案の段階からすべてオリジナル。
 
「そこまでするの?」 っていう程すごく緻密で
ため息がでるような可愛い作品が並んでいました。
器用な人ってこういう人の事です。
 
 
 
 
先日、バス停で見知らぬオバサンに
「あなたのコート、すごく変わったデザインね」 と声をかけられました。
 
聞けば、その方のコーディーネートはすべて手作り。
いつも街行く人の服をチェックして参考にしているらしい。
 
今は安くで何でも手に入るけれど、昔は作るしかなかったからねぇ
昔はミシンが無いとお嫁に行けなかったわよ
 
 
と教えてくれました。
 
すごいなぁ・・・
言われれば、自分の母親も祖母もよく手作りしてくれたっけ。
 
私はあんまり手先に自信が無いし、
大学の授業で作ったブラウスやスカートもかなり悪戦苦闘した。
 
めちゃくちゃ時間をかけて作った、ブラウスとスカート。
でも一度も着ずに箪笥の肥やしになっている。
 
袖を通さない虚しい服。
でも、手を動かして作ったあの苦しい時間が
服の価値を、服ができるまでの背景を教えくれました。
あの時、「海外で安い人件費で作られる服ってどうなの?」 ってはじめて考えました。
 
 
だから、下手くそでも、実用性がなくても
手を動かして、作ってみて、ちょっと考えるって大切だなと。
 
 
下田直子さんの作品を見て、とても真似はできないけれど
「久々にやってみるか!」 って少しだけ思いました。
 
 
 

2014年2月21日金曜日

鳩のシュガーポット

 
長野の善光寺近くのお店で
可愛い鳩のシュガーポットを買いました。
 
白樺の木をくり抜いて作られていて、
シッポの部分はスプーンになっています。
 
久しぶりの一目惚れ。
 
 
添えられたリーフレットには 「農民美術」 という文字が。
 
寒い季節、畑仕事ができない農家の副業として
大正から昭和にかけて、上田地方で特に発展したようです。
 
そういえば長野は民芸モノも多い土地。
次は民芸店が多い松本にも訪れたい。
 
 
さて、このシュガーポット
可愛いルックスとは裏腹にお値段は少々お高め。
なので意を決しての購入でした。
 
家に帰って、ネットで調べたら通販などでは手に入らず
限られたお店でしか売っていない事が分かりました。
こういうの嬉しいな。
 
「また気になったらネットで買えばいいし」
そんな言い訳が通用しない、その土地でしか買えないモノ。
 
 
ますます鳩が愛おしく思えます。
 
 
 
 

2014年2月20日木曜日

なくならない


乗りたいバスが鮨詰め状態だったので
駅まで歩いていたら、とても綺麗な夕焼けを見ることができました。

その夜は驚くほど明るくて優しく光る大きな満月でした。


祖父が亡くなった知らせを受けた日でした。


わたしが中学生くらいまで
住まいは違えど、ほぼ毎週顔をあわせていた祖父でした。
50代で不慮の事故に遭い、半身不随の障害を持つ祖父でした。

ベレー帽が本当によく似合う祖父でした。
上手に口を動かせず、たくさん話した記憶はありません。
いつも穏やかに見守ってくれている存在でした。

リハビリを続け、左手で書道や油絵、
詩吟や謡曲にチャレンジする姿をずっと見てきました。


昔は本当に厳しい人柄だったようで
中学校の英語の教師をし、剣道部の顧問をし、
道徳教育に力を入れ、全国から講演に呼ばれるくらい話が上手い人だったようです。

その前は船舶機関士の仕事をしていたようです。
海では得意のバタフライでどこまでも泳げる人だったようです。


とても努力する人でした。
そしてとても温厚でした。


祖母が亡くなった時と同じ、長野にある教会でのお葬式。

豪雪で厳しく冷えた長野でしたが
お葬式はとても温かで感動的でした。


キリスト教では 「死は神様の元へ、永遠の世界へ導かれる」 という解釈です。

おわりではなく、はじまりです。
悲しみではなく、喜びです。


おじいちゃんを亡くした今
ますます強く生きていけそうな気がします。


本当にありがとう。



2014年2月17日月曜日

長崎にて(4)

 
 
長崎で気になったフルーツ 「ザボン」。
ドッチボールができそうなくらいの大きさです。
 
 
大浦天主堂の近くには 「ザボン専門店」の土産物屋 があり、
大きいものは一つ1000円くらいと値段も高め。
 
 
そのザボンのことが旅の間ずっと気になって
「買って帰るべきか?でも大味で美味しくないのかも?」
「でも生きてるうちに食べれるか?」
「次いつ長崎に来れるのか?」
 
とぐるぐる考えて、結局最終日に2つ買って帰りました。
しかもスーツケースには入らず、手持ちで大切に。
 
それにしても、ザボンのすこぶる重いこと。
たっぷり水分を含んだようなズンとした重さです。
 
思わずいつもお菓子作りで使っているデジタル量りではかったらエラー表示。
仕方なく、体重計に乗せたら1つ1.2キロ。
そりゃ思いわけです。。
 
で、ネットでこの子について調べました。
そしたら 「買ったあと1か月くらい熟成させると渋みがなくなり美味しくなる」
と書いてありました。
 
 
ほんまかいな。
 
 
とりあえず、いつもミカンを10個くらい盛っている果物入れの籠に
堂々たる佇まいで熟成しております。
 
 
というか単に放置プレイですが。
美味しくなぁれ!
 
 
 
 
 

2014年2月16日日曜日

長崎にて(3)

 
あれはマジックなのか? 超能力なのか?
長崎でとても不思議な体験をしました。
 
 
4次元パーラー 「あんでるせん」 という喫茶店に行きました。
1年くらい前に知人から熱烈に勧められた場所です。
 
長崎からシーサイドライナーという名の通り海の真横を走る電車で
1時間ほど離れた場所です。
 
観光地でもなんでもありません。
びっくりするくらい田舎です。
 
 
約束の午前11時過ぎにその店に入ったら
すでに15名くらいのお客でにぎわっていました。
店内はかなり古いです。タイムスリップしたような空間です。
 
とりあえず喫茶店なのでミックスピザを注文し、
隣に座っていた女性(東京から来たリピーターさん) と話ながら食事を済ますことに。
 
12時半ごろに店のオバサンが
「ショーがはじまる前に順番にトイレを済ませてください」
という声が響き、みんなソワソワし始めました。 
 
 
13時すぎにマスターが登場してついにショーのはじまり!
 
 
カウンターで、私は椅子に座るようオバサンに指示されたのですが、
残りの10名以上の人は2時間くらいのショーの間スタンディングです。
 
 
で、ショーの内容は
 
トランプ52枚の並び順を瞬時に記憶し、何番目にどんなカードが並んでいるか当て
人差し指の上でペラペラのお札を立て
(しかもお客さんに角度を指定してもらって20度とかで傾けたり)
硬貨をバリバリ食べて、フッと息をかけたら元通りにし
お客さんがぐちゃぐちゃにしたルービックキューブを目隠しで元通りに7秒で直し
お客さんの生年月日を当て
お客さんの名前を漢字まで当て
 
 
私は 「あなたは宗教関係のお仕事が向いている」 と言われ
結婚相手の名前を漢字まで言い当てられました。
 
 
・・・ワケわからんの連続でした。
ちょいちょい人生論のような有難い話も挟みながら軽快に繰り広げられます。
 
 
11時にお店に入って、店を出たのは16時すぎ。
異次元に行ったかのような、あっという間の出来事でした。
 
 
 
あれはマジックだったのか、聴能力だったのか・・・。
 
 
気になる方は行ってみてください。
予約は電話で2か月前くらいにするのがベターです。
 
 
ちなみにお代はミックスピザの飲食代だけでした。
 
 
 

2014年2月15日土曜日

長崎にて(2)

 
長崎に訪れたとき
旧暦のお正月で中華街周辺や繁華街に
色とりどりのランタンの飾りが たくさんありました。
 
長崎一番の観光シーズンだそうです(洋菓子屋のおばちゃん談)
 
 
長崎の街は2年前に行った鹿児島と雰囲気が似ていました。
たくさん坂道があって、路面電車が走っていて、街が海に面しています。
 
街自体すごくコンパクトで
道行く人を見ていると穏やかな感じの人が多く
高校生もスレてる感じの子がいなくて
街も人も、どこかレトロな雰囲気。
すべてにおいて可愛い印象を持ちました。
 
 
 
初日の夜、古いおでん屋さんで夕飯をいただきました。
(コの字カウンターで、吉田類が前に取材で来ていたことを後で知り、自分の嗅覚に驚く)
 
 
隣に座っていた仙台から一人旅中の男性から
 「軍艦島は行くべし!」 と教わり、翌日迷わず軍艦島に行きました。
(おかげで船酔いでヘロヘロに)
 
 
お食事に来ていたご近所の年輩夫婦ともカウンターでお話ししました。
 
 
会話の中で、路面電車のことを「電車」
JRのことを「列車」 と話されていました。
 
 
なんだか可愛い。
やっぱり色々可愛い長崎でした。
 
 

2014年2月14日金曜日

長崎にて(1)


 
長崎から帰ってきました。
教会は4つ巡ることができました。
 
たまたま長崎にいた2月5日は、二十六聖人の殉教日と重なり
記念ミサ(礼拝)にも参列することができました。
 
 
禁教令によるクリスチャンの迫害と弾圧
そして多くの殉教者の死。
 
これまで、残忍で悲しいこの出来事を
自分のなかでは 「暗くて重い過去」 だと解釈してきたのですが
実際長崎では 「明るくて前向きな歴史」 という空気が漂っていました。
 
殉教は 「自分の信仰の強さを表明するもの」 ではなく
「命をかけて神の愛を明らかにする行為」 だそうです。
これはキリスト教の基礎知識が無いとなかなか理解し難い思考なのですが、
ともかく当時の殉教者はどんな苦しい戒めにも
前向きに耐え、そして生き生きと亡くなっていったのです。
 
 
一粒の麦が地に落ちて死ななければそれは一つのまま
     しかし、死ねば豊かな実を結ぶ
 
という聖書の言葉(ヨハネによる福音)があるのですが
一人の犠牲によって多くの人が救われるという意味です。
つまり、殉教者の死によって多くのクリスチャンはより一層信仰を強めたんだと思います。
「キリストの愛は永遠」 とか言ったりするんですが、
「死ねばおしまい」 という考え方ではないのです。
 
 
まぁ、説明するのがとても難しいのですが
今回の旅でキリスト教のことを少し深められた気がします。
 
 
殉教の歴史だけでなく
命からがら日本にやってきた宣教者たち
信仰を守るために僻地に移住し開墾しながら貧しい生活をした人々
すべての私財を投じて教会を建てた人々
司祭も教会も無くして250年(だいたい7世代くらい)信仰を守り続けた人々(信徒発見
信仰を守るために独特な文化を作った隠れキリスタンたち
 
 
 
何が正しいとか
どの宗教がいいとか
私にはまだまだ分かりかねますが
あまりにもピュアで、一途なクリスチャンの勇姿に心洗われました。
 
 
 
写真:大浦天主堂
行った場所:大浦天主堂・大浦教会・中町教会・浦上天主堂・聖フィリッポ教会・日本二十六聖人記念館