唐突ですが、自分の結婚について書きます。
今月入籍から~の、来月結婚を控えていて
お相手のおうちにどっぷり入る、なんだか昔ながらの嫁入りという感じです。
以下長文です。。
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結婚相手はお坊さんだったりします。
相方が京都に住んでいたとき、お互い趣味で通っていたギター教室で知り合いました。
蓋を開けたらお坊さんだったという感じです。
なので彼の実家・名古屋のお寺(真宗大谷派)に嫁ぐことになっています。
住宅街の中にある地域のお寺です。
彼は副住職(正式には若院と言うらしい)でゆくゆく後継ぎの長男さん。
私はお寺で坊守(ぼうもり)という立場になり、おくりさん(東海限定?)という
愛称で呼ばれるようです。
ご存知の方もいますが、私はクリスチャン(カトリック)です。
両親も親戚もみんなクリスチャン。
父親は長崎出身なので、元祖クリスチャンの血がうっすら入ってる感じです。
そんなクリスチャンネーム・マリアな私がお寺に嫁ぐというのはなかなか珍しい事かもしれません。
小さい頃から日曜日は教会に行っていたし(中学時代からサボり始めたけど…)
夜寝る前は家族そろってお祈りの時間がありました。
だからなのか周りから「改宗するの?」とよく聞かれます。
改宗というのは住民票を移すような感覚に似ていて、
その本人が思う故郷はまた別だったりするかもしれません。
改宗について両家とも驚くほど気にしていなくて
できればこれまでの私の礎を築いたキリスト教も、これから出会う仏教も
どちらも大事にしたいというのが今の私の本音です。
欲張りでしょうか…。
彼が私の実家に遊びに来て一緒にご飯を食べる時
うちの父のリクエストで仏教の食前の祈り(言葉?)をすることがあります。
そのとき私の一家も手を合わせます。
祈るのも唱えるのも拝むのも手を合わせるという見た目には同じフォーム。
なんだかいつも不思議な気持ちになります。
よく宗教は 「山」 に例えられ、目指すべきところは同じで、
宗教・宗派によって登るルートや手段が違うと言われたりします。
本当にそうなのかもしれません。
なんだか我が家の食卓は平和な光景です。
「彼氏がお坊さん」 と知人に話すと 「滝に打たれている」 とか
「祇園で遊んでいる」 といった偏ったイメージを持つ人が案外多いです。
それだけ接点が無いのかもしれませんね。
(お坊さんってお寺を守るため、家族旅行できない人も多く、本山の多い京都に来た時くらい羽を伸ばしてもいいじゃない?という個人的見解アリ。笑)
実際わたしの彼は一見するとお坊さんに見えないし
フツーの若い兄ちゃんって感じです。
中身はいたって地味な人で、たまたま彼の宗派には修行がなく
お肉も食べますし、頭の髪もフサフサ生やしています。
彼と出会ってから、お寺・仏教・お坊さんは
宗派と各お寺によって全然違うんだなぁと思いました。
街に色んな電気屋さんがあるように、お寺も千差万別です。
お寺に嫁ぐことに関して 「大変そう…」 とか 「よく覚悟決めたねぇ」 と心配されたりもしますが、
何もはじまっていないので、大変かどうかサッパリ分かりません。
持ち前の底抜けなポジティブ思考のお陰で、「なるようになるやろ~」 と思っています。
バカも振り切れば得することもあるもんです。
最近の仏教や日本のお寺は
ネガティブな意味で 「葬式仏教」 という表現をされます。
お葬式や法事を通してしかお寺と接点が無い。
これってちょっと残念やなぁと思います。
確かにわたしも観光寺院にはお金を出して行くけれど
地域のお寺にひょっこり遊びに行ったことはありません。
逆に教会はふらっと気軽に立ち寄る事が多いです。
河原町教会(ロイヤルホテルの横)は買い物途中の私の休憩スポットです。
綺麗なステンドガラスがあって、とても静かで
あのヒンヤリした空間はボーっとできて最高だったりします。
だからお寺ももう少し身近な存在でありたい。
そのためには、やっぱりお寺サイドの努力と工夫が必要なのかもしれません。
彼のお寺に訪ねると、本堂もお庭もいつも綺麗に掃除が行き届いていて、
お手伝いに顔を出すおばちゃん達はお寺に来るのが楽しみで仕方が無い感じで、
お義母さんの気の効いた接客応対にはいつも驚かされるわけです。
そんな素敵な場所なのに勿体ない…って正直思います。
お寺の可能性、すごく信じてるんですけどね。
わたしは高校生のころから
「ええ感じの主婦になりたい」 という夢があって
散々まわりに 「カリスマ主婦になる!」 て言いふらしてきました。
今から考えたらすごく恥ずかしいけれど、今もそれが私の夢です。
そんなこともあって大学は衣食住を学べる家政系の学科に進みました。
私の中の 「ええ感じの主婦」 っていう定義はシンプルだけど
「いつでも元気で明るいお母さん。精神的に健康なお母さん」 です。
お母さんが元気だったら子供も嬉しいし、楽しくなる。
旦那さんだって仕事や育児、頑張ろうかなって思えると思っています。
だから主婦が家庭を救うことができるし、元気な主婦が増えたら日本の未来は
もっと明るくなるんじゃないかなぁって真剣に思っています。
お寺でどんな形になるか分かりませんが
そんな主婦や女性を省くむお手伝いができたらなぁ…て漠然と思っています。
それにお寺や仏教を通して普段の生活をより主体的に過ごせる人が増えたら万々歳やなぁと。
そのためには、私自身まだまだ成長しなければいけない。
やっぱりヒトとして魅力が無いとスタート地点に立てないと思うわけです。
これから私の人間力、ますます試させられるな…って思います。
ボチボチですが、ぐるぐる考えながら歩んでいきます。