2014年3月30日日曜日




 
結婚前だからといって、マリッジブルーとか
そういうものとは無縁で驚きます。

自分でも笑えるくらい冷静です。


道端のモクレンの花がたわわに咲いていて、
ウグイスに限らず、いろんなトリが鳴くようになった気がします。

先日はちゃっかりツクシの佃煮も食べたし、
桜餅も食べました。


桜のツボミも順番に開いて、
そのあとの藤の開花も今から楽しみです。


新しい季節、新しい気持ち
たくさん感じて、楽しみたいと思います。


ドンと来い、春。





 

2014年3月26日水曜日

花まつり

 
お釈迦さまの4月8日のお誕生日をお祝いする 「花まつり」。
日本は仏教徒が多いのに、クリスマスよりマイナーなのは少し残念ですね。
(クリスマスに対抗?してメリーシャカライブというイベントもありますが)
 
 
ちょっと早めですが
昨日はお寺で 「子ども花まつり」 が行われました。
 
 
今年は地域のお寺の中から会場として選ばれ、
本堂に春休み中のちびっ子が50名ほど集まりました。

人がいっぱいで嬉しいのか、本堂をぐるぐる走り回る子がいたり、
お数珠をブンブン振り回す子がいたり・・・
 
それはそれは、賑やかでした。
 
 
みんなで、 正信偈(しょうしんげ) を唱え
お釈迦さまに甘茶を順番に掛け、自分たちも甘茶を飲み、
そのあと腹話術と人形劇(となりのたぬき) を見ました。
で、最後に子どもたちはお菓子のお土産付き!
 
このお菓子が、これまた豪華で大きな袋いっぱいの駄菓子。
これは子供たちも腹の内で 「しめしめ」 と思ったことでしょう。
 
 
わたしは生まれて初めて甘茶を飲んだのですが、その味にビックリでした。
これまで甘酒の類だと勝手に思っていたのですが(スミマセン・・・)
見た目は麦茶より少し薄い色で、味がかなり甘い!!
今までに味わったことのない味です。

なんとアジサイ科の植物を煮出して作るようです。


甘茶はお釈迦さまが生まれたときに甘い雨が降ったことにちなんで。
庭の椿で綺麗に彩られた花御堂は、お釈迦さまがお生まれになった
ルンビニーの花園をなぞってのこと。
 
 
どれもちゃんと意味があるんですね。
 
 
お釈迦さまのお像は
右手を上に掲げ、左手は下を指しています。
 
天の上にも下にも我のみぞ尊い。 
「誰一人として同じ命はない、尊い存在だ」 というポージングのようです。
 
 
さて、来年の花まつりも今から楽しみです。
 
 
 

2014年3月24日月曜日

自分のために



先日、久しぶりに会った年下の子に

「ブログの更新が継続できるなんて、すごいですね。」

と言われた。



言われてみれば、確かにそうだ。
何のために日々更新しているのだろう。
あまり考えたことがなかった。


おそらくその答えは
「忘れないため」 がまずひとつで、
もうひとつは 「居場所づくり」 なんだと思いました。


モノゴトは諸行無常で、
日々、自分も周りも変わっていく事は心得ているけれど、
過去の自分の感覚を置き去りにするのがとても怖いです。
盲目になることをとても恐れています。

だから今の自分を 「忘れないため」 にやっているんだと思います。



ならば、日記でいいんじゃないか? という事ですが、
そこは私の中の 「かまってチャン」 な部分がスネてしまうのです。


見て見て見てー!
と声を大にするのは恥ずかしいけれど、
ジッとするのも、なんだかヤキモキしちゃうのです。


何となく書いて
何となく見てくれる人がいて
何となく私のことを意識してくれる人がいる。


そんくらいがちょうど心地いいです。
自分の居場所を確保しています。


だから、誰のためにやってるかって聞かれたら、
やっぱり自分のためです。


堪忍え。




2014年3月22日土曜日

お彼岸

 
 
「暑さ寒さも彼岸まで」
なんていうのはウソですね。
とても寒い風が吹くなか、お墓に行ってきました。

これまで、「お彼岸にお墓参り」 という習慣に
親しみが無かった私は、「春は牡丹餅で、秋がお萩」
くらいの事しか知りませんでした。
 
 

向かった墓地は名古屋市内にある 「平和公園」。
見渡す限り、お墓のオンパレード。
 
空襲で燃えた戦後の区画整理で
名古屋市内のお寺のお墓は、この平和公園に集められました。
(名古屋の道路が広いのは、この区画整理のお陰)
その規模、東京ドーム31個分というから驚きです。
 
 
今日は、3時間くらいお墓にいて
相方はお参りに来られたお檀家さんのお墓の前で順番にお経を唱えていました。
わたしは墓地の管理費を集めながら様子を伺っていました。
 
 
お墓のあちこちから、お線香の煙が上がる中
小さい子連れのご家族や、妊婦さんの姿もありました。
 
 
「命がずっとつながっていくんだなぁ」
墓地の景色から、そんな事を感じることができました。
 
 
 
クリスチャンの私の家庭では
定期的に家族揃ってのお墓参りがなかったので、
お彼岸っていいなぁとシンプルに感じました。
 
 
 

2014年3月19日水曜日

飛ぶトリ

 
昨日、朝目覚めたらウグイスの鳴き声が聞こえました。
「ホーホホケキョッ」

まだ練習不足のようで鳴き方はヘタクソでした。
いよいよ、春ですね。 
 
 
先日、日曜日に教会に行ったら聖書の言葉がストンと腑に落ちました。
こういうふうに素直に飲み込めるというか
その時ちょうど言葉が心に入ってくる機会というのは正直時々です。
 
 
空の鳥をよく見なさい。
種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。
 
 
という言葉でした。
人間が鳥よりも価値あるものと決めるのは
鳥に対してずいぶん失礼な話ですが、
伝えたいことは、たぶんこうなんでしょう。
 
種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない鳥たち
その存在そのものが毎日神様に支えられて自由に飛んで暮らしている。
 
ならば、人間も神さまが守らないはずがないわけだと。
だから何も思い悩むこともないし、注がれている神様の恵みに目を向け、
精一杯に生きることが大事ですよ。
 
 
 
明日また震災が来るかもしれない…
明日自分が死んでしまうかもしれない…
 
 
色んな不安が浮上しますが、やっぱり思い悩んでも仕方ない。
悩んでもどうにも解決できない。
 
神様か仏様か人によって違うと思いますが、
その大きな懐にどっぷり甘えて、
 感謝を忘れず、目の前の事を毎日
ちゃんとやってく事が大事なんだと思いました! 
 
 
 
 
 

2014年3月18日火曜日

ごはん


わたしの父親はモノを大切にする人で
気に入ったら思い切って高い買い物をしますが
その分ビックリするくらい長く愛用します。

我が家でその確固たる地位にいらっしゃるモノが
この 「炊飯器」 であります。

父親が独身時代から使い、しかも人から譲り受けたという代物。
つまり、ゆうに30年選手ということになります。

前に、とある場所で 「昭和の暮らし」 という展示ブースがあり
そこに同じ炊飯器が堂々と佇んでいて、失笑しました。
昭和ってそんなに遥か昔の話ではないのに、ね。


保温機能ナシという、この男前な炊飯器を使う様子を見かねてか、
祖母が別の炊飯器を(しかも大家族には嬉しい一升炊き) 譲ってくれた時もありましたが、
一口たべて 「米がマズイ」 で意見は一致し、あっけなく却下となりました。

知らずのうちに、このレトロ炊飯器の米の味を舌が記憶していたのです。
まぁ、そんな話はともかく


近頃のわたしは、新生活に向け
炊飯器でずいぶん頭を抱えていました。


米はたぶん土鍋で炊くのが一番おいしいハズだ
でも、鍋で米を炊くなんて片手で数えられるくらいしかやったことないじゃないか
炊飯器で慣れてきた人間にとってハードルが高過ぎる。。
鍋でいちいち炊くのは時間も手間もかかりそう…
第一、分厚い鍋の中の様子を、蓋も開けずじっと想像しながら火加減するなんて…
もしも、もしも仮に炊飯器を買うならやっぱり良いのがいいなぁ
でもそういう最新炊飯器は結構お値段も高いよね、、
買うなら増税前でしょ。いつ買うの?今でしょ!


みたいな感じで、1ケ月くらい悩みました。



で、とうとう答えを出しました。


「土鍋で炊いてみる。ダメだったら炊飯器を買う!」


です。



さて、どうなることでしょう。
米は主食と言うくらいだから、自分の体を、そして命を一番支えてくれている頼もしい存在。
真っ向から勝負してみようじゃないか!と腹をくくることにしました。


ドキドキ。。
新生活しょっぱなから、「テーブルにおかずだけ」 の日が続きませんように。





2014年3月17日月曜日

お礼

ブログをご覧下さった方へ


先日更新した 「お嫁入り」 の記事についてです。
あの記事以降、事態が急変しました。

知らない方から突然励ましの連絡をいただいたり、
随分ご無沙汰な友人から連絡をたくさんいただきました。
同じ世代のお坊さんからも連絡がありました。

思ってもいないことでした。

何気なくチェックしたアクセス解析も
あまりの数値の高さに、思わず2度見してしまいました。
以前販売の仕事をしていましたが、TV(関西圏くらいの放送規模)で
お店が紹介されたときぐらいのレベルです。

独り言のつもりで書いていたブログが
ひとときの事とはいえ、どんどん一人歩きして
嬉しさを超えて、ただただ驚いています。

どうしよう、責任重大…という気持ちもあります。


決して偽善でやってるつもりはないので
今後も自分のことを、ありのままの心境を気ままに書いていきます。
またいつでも覗いてやってください。


たくさんのエネルギーを頂戴し、有難うございました。

2014年3月13日木曜日

Imagine


 
チャリティーのコンサートがあったので、出かけてきました。
 
震災の被害に遭われた在日フィリピン人を支援するための企画で
入場料の1500円が寄付されるというシステムでした。
会場内はフィリピンの方が600名くらいで大盛況。
 
 
場所は東別院(名古屋)というお寺が所有しているホールでした。
 
 
よくよく考えれば、フィリピンは8割くらいの方がカトリックのクリスチャン大国。
私の地元・滋賀の教会にもフィリピン人が多くいらっしゃいます。
フィリピンの人は互いに絆が深く、大きなファミリーという感覚をお持ちで、
教会という場をとても大切にされています。
 
 
そういうカトリックの信仰の深い方々が
宗教を超えて、お寺のホールで楽しまれている光景は
とても微笑ましく思いました。
 
 
ちなみに相方はステージでバンド演奏をしました。
バンドメンバー6人中、4人が僧侶です。
宗派もバラバラです。
 
 
ちょうど演奏された曲が気分にぴったりでした。
Imagine~♪
 
 



2014年3月12日水曜日

天使と悪魔

 
天使と悪魔を信じますか?
わたしは幼い頃ずっと信じていましたよ。
 
 
背中のうしろに目には見えないけれど
妖精みたいな天使と悪魔がいて、2人はいつも戦っていると。
で、悪いことをしたときは悪魔が勝っている時。

親に教わったのかな?

なので、自分とそっくりな顔をした小さな天使と悪魔がいて
刀をブンブン振って戦っていると思っていました。
 
だからなのか、悪いことをするときは
背中のうしろをこっそり振り返ったものでした。
(もちろん見えないけれど)
 
 
 
最近、通り魔事件とか恐ろしい事件が多くてゾッとしています。
たぶん犯人の背中で悪魔が圧勝していたんでしょうね。
 
でも、誰しもが悪魔を発揮したことがあるし
大きかれ小さかれ、これまで罪を犯してきたと思います。
 
育った環境やいろんな状況が
たまたま悪い方向に縁が重なって
悪魔がどんどん勢力を増してしまったんだと思います。
 
 
どうしても、こういう事件の犯人を
自分とは切り離して考え勝ちですが
本当はそうじゃないなと思えるようになりました。
 
 
同じ 「人間」 という器に入っている以上
自分も環境次第でやりかねないかもしれません。
 
 
日々弱くてもろい人間であることを心得たいです。
 
 

2014年3月11日火曜日

お嫁入り




唐突ですが、自分の結婚について書きます。

今月入籍から~の、来月結婚を控えていて
お相手のおうちにどっぷり入る、なんだか昔ながらの嫁入りという感じです。

以下長文です。。


***


結婚相手はお坊さんだったりします。

相方が京都に住んでいたとき、お互い趣味で通っていたギター教室で知り合いました。
蓋を開けたらお坊さんだったという感じです。
なので彼の実家・名古屋のお寺(真宗大谷派)に嫁ぐことになっています。
住宅街の中にある地域のお寺です。

彼は副住職(正式には若院と言うらしい)でゆくゆく後継ぎの長男さん。
私はお寺で坊守(ぼうもり)という立場になり、おくりさん(東海限定?)という
愛称で呼ばれるようです。


ご存知の方もいますが、私はクリスチャン(カトリック)です。
両親も親戚もみんなクリスチャン。
父親は長崎出身なので、元祖クリスチャンの血がうっすら入ってる感じです。

そんなクリスチャンネーム・マリアな私がお寺に嫁ぐというのはなかなか珍しい事かもしれません。
小さい頃から日曜日は教会に行っていたし(中学時代からサボり始めたけど…)
夜寝る前は家族そろってお祈りの時間がありました。
だからなのか周りから「改宗するの?」とよく聞かれます。

改宗というのは住民票を移すような感覚に似ていて、
その本人が思う故郷はまた別だったりするかもしれません。
改宗について両家とも驚くほど気にしていなくて
できればこれまでの私の礎を築いたキリスト教も、これから出会う仏教も
どちらも大事にしたいというのが今の私の本音です。
欲張りでしょうか…。


彼が私の実家に遊びに来て一緒にご飯を食べる時
うちの父のリクエストで仏教の食前の祈り(言葉?)をすることがあります。
そのとき私の一家も手を合わせます。
祈るのも唱えるのも拝むのも手を合わせるという見た目には同じフォーム。
なんだかいつも不思議な気持ちになります。

よく宗教は 「山」 に例えられ、目指すべきところは同じで、
宗教・宗派によって登るルートや手段が違うと言われたりします。
本当にそうなのかもしれません。

なんだか我が家の食卓は平和な光景です。



「彼氏がお坊さん」 と知人に話すと 「滝に打たれている」 とか
「祇園で遊んでいる」 といった偏ったイメージを持つ人が案外多いです。
それだけ接点が無いのかもしれませんね。
(お坊さんってお寺を守るため、家族旅行できない人も多く、本山の多い京都に来た時くらい羽を伸ばしてもいいじゃない?という個人的見解アリ。笑)


実際わたしの彼は一見するとお坊さんに見えないし
フツーの若い兄ちゃんって感じです。

中身はいたって地味な人で、たまたま彼の宗派には修行がなく
お肉も食べますし、頭の髪もフサフサ生やしています。
彼と出会ってから、お寺・仏教・お坊さんは
宗派と各お寺によって全然違うんだなぁと思いました。
街に色んな電気屋さんがあるように、お寺も千差万別です。


お寺に嫁ぐことに関して 「大変そう…」 とか 「よく覚悟決めたねぇ」 と心配されたりもしますが、
何もはじまっていないので、大変かどうかサッパリ分かりません。
持ち前の底抜けなポジティブ思考のお陰で、「なるようになるやろ~」 と思っています。
バカも振り切れば得することもあるもんです。


最近の仏教や日本のお寺は
ネガティブな意味で 「葬式仏教」 という表現をされます。
お葬式や法事を通してしかお寺と接点が無い。
これってちょっと残念やなぁと思います。

確かにわたしも観光寺院にはお金を出して行くけれど
地域のお寺にひょっこり遊びに行ったことはありません。
逆に教会はふらっと気軽に立ち寄る事が多いです。
河原町教会(ロイヤルホテルの横)は買い物途中の私の休憩スポットです。
綺麗なステンドガラスがあって、とても静かで
あのヒンヤリした空間はボーっとできて最高だったりします。

だからお寺ももう少し身近な存在でありたい。
そのためには、やっぱりお寺サイドの努力と工夫が必要なのかもしれません。

彼のお寺に訪ねると、本堂もお庭もいつも綺麗に掃除が行き届いていて、
お手伝いに顔を出すおばちゃん達はお寺に来るのが楽しみで仕方が無い感じで、
お義母さんの気の効いた接客応対にはいつも驚かされるわけです。
そんな素敵な場所なのに勿体ない…って正直思います。


お寺の可能性、すごく信じてるんですけどね。



わたしは高校生のころから
「ええ感じの主婦になりたい」 という夢があって
散々まわりに 「カリスマ主婦になる!」 て言いふらしてきました。
今から考えたらすごく恥ずかしいけれど、今もそれが私の夢です。
そんなこともあって大学は衣食住を学べる家政系の学科に進みました。

私の中の 「ええ感じの主婦」 っていう定義はシンプルだけど
「いつでも元気で明るいお母さん。精神的に健康なお母さん」 です。

お母さんが元気だったら子供も嬉しいし、楽しくなる。
旦那さんだって仕事や育児、頑張ろうかなって思えると思っています。
だから主婦が家庭を救うことができるし、元気な主婦が増えたら日本の未来は
もっと明るくなるんじゃないかなぁって真剣に思っています。


お寺でどんな形になるか分かりませんが
そんな主婦や女性を省くむお手伝いができたらなぁ…て漠然と思っています。
それにお寺や仏教を通して普段の生活をより主体的に過ごせる人が増えたら万々歳やなぁと。

そのためには、私自身まだまだ成長しなければいけない。
やっぱりヒトとして魅力が無いとスタート地点に立てないと思うわけです。
これから私の人間力、ますます試させられるな…って思います。


ボチボチですが、ぐるぐる考えながら歩んでいきます。






2014年3月9日日曜日

名古屋はいつも晴れ


名古屋に来るといつも晴れている。
京都や滋賀で雨模様だったり、どんより曇り空でも
名古屋に着いたらカラッと晴れている。

なんなんだ?

いつも不思議に思う。
曇り知らず、雨知らず。


前に私のことを
「晴れた日にカラッと乾いた洗濯物みたい」
って表現してくれた知人がいますが、
名古屋の人もそんな人が多い気がする。


湿度を好まない。
回りくどくない。
単純明快。
よく笑う。


カラッ。


あっぱれ!



2014年3月8日土曜日

平和堂



地元の滋賀県では平和堂がたくさんあって
買い物 (とくに食料品) はもっぱらお世話になっています。

わたしはそこまで愛着を持っていませんが
うちの両親は平和堂にゾッコンです。

先日は
「あんたユニクロのヒートテックそんなにええか?平和堂の方がすごいで」
と言われたり

「平和堂はイトーヨーカドーとかイオンとは別格」
と言い出したり。

両親によると
陳列のこまかな工夫だったり
売られているモノの質がぜんぜん違うそうです。

極め付けには
「平和堂はセレクトショップやで」 って言うてました。


そういえば、近所のおばあさんが
「平和堂のかぼちゃはめっちゃ美味しいんやで」
と言って、曲がった腰で頑張って買いに出かけておられたのは
とても印象に残っています。(年寄の女性はとくに南瓜大好物)


地元民に愛されるお店ってイイネ!

2014年3月6日木曜日

包装紙



包装紙をコレクションし始めて1年も経ちませんが
けっこう色々と集まりました。
 
ニヤニヤ眺めやすいように
パンチで穴を開けて大きなファイルに綴じています。

ファイリングするときの並び順も
配色が綺麗に見えるようにとか
似た文様で並べてみたりとか
あーだ、こーだやって結構遊べるもんです。
 
手土産でいただいたお菓子の包装紙も多いので、
眺めているうちに思い出も蘇って、旅したような気分にもなれます。
まぁ、それはごくごく稀ですが。(さっぱりいつのか分からないものがあるのも事実)
 
基本的に和菓子の包装紙が多いです。
意匠もいろいろで楽しい。
 
過剰包装は反対派ですが、
やはり贈り物はきちんと包まれていると嬉しいですね。
 
モノだけでなく気持ちも包んでくれる包装紙。
それは、美味しい料理を引き立てる器だったり
女性をより美しく見せるキモノにも通じるかもしれません。
 
日本人としての美意識を感じます。
 
 
さて、今後どんな包装紙と出会えるかな。
あまりお金もかからないので、長く続けられそうな趣味です。
時々、包装紙のために買い物しそうになって危ないときもありますが、、
 
 
また、お気に入りをピックアップして紹介できたらと思います。
 
 

2014年3月4日火曜日

ゆめ



寝てるとき、けっこう夢を見ます。
とくに最近は毎日のように。

先日は火事の夢でした。
夜遅くに寮みたいなところに帰ってきて
何気なく裏口から外に出たら蛍みたいな光が芝生の上に舞っていて
振り向いたら建物の2階部分が火事になっていました。
だから、あれは蛍じゃなくて火の粉やったんです。

で、急いで非常ベルを押して、廊下で逃げろーって叫んで・・・
そこで目が覚めました。

起きたら布団の中でガサゴソ。
ケータイですぐさま夢占いでキーワード検索します。

火事の夢、吉夢だそうです。

よっしゃ!


**


次の日は兄弟でパンを食べている夢を見ました。
なんともシュールです。

弟が大手のパン屋(実際はアパレル会社勤務やのに)で働いていて
そこの会社見学に兄弟で出かけるんです。
で、食堂でパンが選び放題、食べ放題で・・・
「どれ食べるか悩む~~」 とか言いながら皆で幸せそうにパンを食べていました。

さっそく夢占い。


パンを食べる夢は、健康状態が良好な証拠だそうです。

よっしゃ!!


**

今朝は爪が剥がれる夢を見ました。
小指の爪にゴミが挟まっていて、取り除こうと爪を触ったら
ポロッと小指の爪が全部剥がれました。
とくに痛くありませんでした(当たり前か)


またも夢占い。


急なアクシデントが起こる暗示・・・


無視!!!



2014年3月3日月曜日

商売



今日は信楽に出かけました。
信楽駅の近くに母親の知人が作り手で頑張っているお店があります。

私はそこの娘さん(私の1コ下)の繊細な絵付けに心奪われて
思わずケーキ皿をオーダーして帰ってきました。


私に似合わず乙女な花柄なんですが、
ケーキ用だから、日常ではなくハレの日のもの。
よそ行きの張り切ったワンピースぐらいのでちょうどいい塩梅です。

「この図柄で直径30センチで台座があって。切りやすいようにフラットな形で、納期は急ぎません」
なんてことを言って、大人な買い物をしてしまいました。


はぁ、届くのが待ち遠しい。
ぜったい大事にするのです。

最近、良い服を買うよりも
何度見ても飽きない、気に入った食器を揃えたいって思います。
食に対していよいよ貪欲になった証拠です。
でも食べるって一番大事なことだから、ね。




さて、そこの奥さんと私の両親を交えて
かれこれ1時間以上話し込んでしまったわけですが、
話題は 「商売って難しい」 という事について。


信楽焼きは全盛期のおよそ2割の売り上げだそうで
どんどん厳しい状況に追い込まれているようです。

娘さんの絵付けは世界観があって
作家さんとして十分にやっていけそうな気もするのですが、
作家としていろんな土地で個展や催事に出展するには労力の負担が大きすぎる。
なにしろ作るだけでなく、マネジメントの能力も問われる。
そんなことをしていたら、モノづくりが疎かになりそう。
そもそもメディアに出ているような作家さんも地道な活動をねばってやっとのこと。
売れてほしいけれど、流行でひととき売れるようなことはしたくない。
本当に欲しい人の手に渡ってほしい。


いろんな想いが交錯。

今のところ、自分の店で大人しくコツコツやるのが一番いい。
という考えで落ち着いているようです。


それにしても、せっかくステキな作品、WEBで検索しても全然出てこない。
お店も、隣の作業場で制作しながらの営業なので、ちょっと入りづらい。
なんだか歯がゆい。


私にできることは
ただただ温かくその家族を見守り、
届く器を日々大切に使っていく。


今日のところ、そんな考えで落ち着きました。



2014年3月1日土曜日

くまさん














はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやりかんがえた

さいているのはタンポポだが
ええと ぼくは だれだっけ だれだっけ

はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやり かわにきた

みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくは くまだった よかったな



***


小学1年生の国語で習ったくまさん。
ちょうど春が待ち遠しいこの時期に
不思議と口にしてしまいます。


リズミカルで、ほんわかしていて
深い意味があるのかないのか
そのことはちゃんと分かっていないけれど、
くまさんはずっと私のお気に入りです。


まど・みちおさんのご冥福をお祈りいたします。


ちっぽけなヒト

















くまモンは何も関係ないのですが
今日はちょっといい話を聞きました。


ある凶悪な殺人事件で娘を亡くした母親が
犯人への憎しみを消すことができず
「犯人に極刑を」と署名活動をしてまわったそうです。

母親の知人は当たり前のようにサインをしたようです。
でも、ある方は断りました。

「あなたも同じ罪を犯すのですか?」

と尋ねたようです。


やられたら、やり返す。
それでは何の問題の解決にならないと。

ほんとうに、その通りです。

それでも、ヒトは我が身に振り掛かると
振り子が狂って、過ちを犯してしまいそうになります。

ほんとうに、その通りです。
ほんとうに、ちっぽけです。


続けて話を聞きました。

よく年を重ねると
「子供たちに迷惑は掛けられないから、無理言えない」
みたいな事を口にするけれど、迷惑掛けてないって誰が決めたんだって。

迷惑掛けるけどごめんね、いつもありがとね。
って言えばいいじゃんって。


自分の尺度で
自分の都合で図ろうとすると
どうにもうまく図れないことばかり。

いつも我に返って
いつも許して
いつも感謝して


ちっぽけであることをちゃんと受け止める。
そんなことを思い知った日でした。