2014年5月15日木曜日

日々のこと


 
結婚して、お寺に嫁いで
早くも1か月が過ぎた。
 
はやく名古屋の土地に馴染みたくて
新しい地図を買って、自転車でウロウロしている。
スーパーではなるべく愛知県産の野菜を買ったりしている。
 
それでも店員さんには
「関西の方ですか」とすぐにバレてしまう。
 
 
まわりの友達は私の新しい生活に興味津々だ。
 
 
でも、うまく説明できない。
 
 
毎日何をやってるかと聞かれたら
あまり大きな声で言えないけれど
 
 
たくさん食べて、たくさん寝ている。
 
 
という事実。笑
 
 
これまで日々順調にまわってきたお寺。
新参者の私がひょっこり加わったところで、特に役目らしいことは早々ない。
 
 
できることは家族になるべく美味しいご飯をつくって
お寺の空気をいっぱい感じること。
 
 
お寺に訪れる人と少しお話しして
お檀家さんとお茶を飲んで
かかってくる電話に受け答えして
気分が向いたら余っているお花を花瓶に挿して
 
 
あまり難しいことはない。
 
 
大したことはできないけれど
塵も積もれば山となり
やがて「お寺の奥さん」と立派に呼ばれたりするんだろう。
 
 
だから今日もいっぱいお寺の空気を吸う。
 
 
 


2014年4月22日火曜日

お花見


名古屋のサクラはすっかり散りましたが
まだ満開だったころ、お花見という名の飲み会に行ってきました。


お坊さんばかりの飲み会に夫婦で乱入。


どんな感じだろう…
と身構えていたのですが、気のいい人ばかりで楽しい飲み会でした。
なんというか、普通のサラリーマンの飲み会と何ら変わりませんでした。


これまで自分の心のどこかで 「お坊さん」 という存在を
特別視してきた部分があったのですが、
ことごとく裏切られていく感じです。(気持ちいい!)


そりゃもちろん、祇園で遊んでいたり、
滝に打たれていたり、世の中には色んなお坊さんがいるでしょうけど、
私の知るお坊さんは、実に真っ直ぐで真面目な人が多いです。
そして思ったよりもフツーだったりします。笑



**


また別の日はお坊さんの勉強会に参加しました。
女子はもちろん私一人。

ビックリしたのは、年齢もバラバラで、特別指導する人がいなかったこと。
遠方から法話の依頼がくるようなベテランのお坊さんも一緒に混ざっての勉強会。


2時間で学んだのは、はじめに配布された文章のたった数行のみ。


文章に出てくる仏教用語の一語一語をそれぞれ何冊もの辞典で調べて
お互い自分の解釈を述べていくというスタイルでした。


独特な時間でした。
だって答えらしい答えがない。


終わった後の食事会でも内容はもっぱら仏教について。



真面目だー。






2014年4月15日火曜日

数珠の交換?


あっという間に結婚式から、10日経ちました。
 
 
思ったよりも元気で
思ったよりもお寺に馴染み
思ったよりも楽しい毎日です。
 
 
結婚式のことは数回に分けて日記を書きたいのですが、
まずは 「仏前結婚式にする」 と話したときに一番周りから発せられた
 
 
「お数珠の交換やんね?」 ←  得意気な顔で言う人多し
 
 
について書きます。
 
 
 
***
 
 
お数珠は交換ではなく、正式にいうと授与されました。
 
 
式の始まる途中までは写真の左のお数珠を持っていて、
(事前に衣装に合わせて好きなデザインのお数珠を選びました!)
式の間に 「念珠授与」 というものがありました。
 
それまで持っていたピンクのお数珠をお坊さん(式を進行する司婚者)に渡し、
新しい右のお数珠を戴くのです。
 
 
新郎新婦どちらもお坊さんから授与されました。
 
 
お式のあと、お寺からホテルに移動して披露宴でしたが、
和装の間はずっと戴いたお数珠を握っていました。
 
 
 
左手でね。
 
 
お数珠は左手で持つようです。
なんでだろう?ロザリオにはそんなルール無かったなぁ。 
 
 
Googleで調べてみました。
 
 
 
 
左手は煩悩の世界(不浄)という意味があり、
邪気から身を守るために念珠を左手に持つ。
右手は仏様の世界といわれ、邪気がつくことがありません。
 
 
 
だそうです。
あってるのかな?
 
 
日々、一つ一つ自分にとって新しいことと出会うので
また追って勉強しておきます、、
 
 
 

2014年4月2日水曜日

お寺の結婚式


 

あっという間に、自分の結婚式がやってきます。
親族メインのお寺での仏前結婚式。

どんな感じなん?

とよく人に聞かれますが
これは終わってからじっくり紹介したいと思います。

私の親戚はクリスチャンでお数珠を持っていないので、
気を利かせて彼のご両親が親戚の人数分、お数珠を用意してくださいました。

当日はまず親戚にお数珠の持ち方から説明しなければなりません。


さて、みんな仏前式にどんな感想を持ってくれるんだろう。


ドキドキ。



写真は、アポなしで結婚式を見物に来る
ご近所さんやお檀家さんにお配りする、お礼の?お祝いの?お菓子です。


さすが、名古屋。


ここぞ!と大切なときに太っ腹なのは
なんだか気持ちがいいですね。



2014年3月30日日曜日




 
結婚前だからといって、マリッジブルーとか
そういうものとは無縁で驚きます。

自分でも笑えるくらい冷静です。


道端のモクレンの花がたわわに咲いていて、
ウグイスに限らず、いろんなトリが鳴くようになった気がします。

先日はちゃっかりツクシの佃煮も食べたし、
桜餅も食べました。


桜のツボミも順番に開いて、
そのあとの藤の開花も今から楽しみです。


新しい季節、新しい気持ち
たくさん感じて、楽しみたいと思います。


ドンと来い、春。





 

2014年3月26日水曜日

花まつり

 
お釈迦さまの4月8日のお誕生日をお祝いする 「花まつり」。
日本は仏教徒が多いのに、クリスマスよりマイナーなのは少し残念ですね。
(クリスマスに対抗?してメリーシャカライブというイベントもありますが)
 
 
ちょっと早めですが
昨日はお寺で 「子ども花まつり」 が行われました。
 
 
今年は地域のお寺の中から会場として選ばれ、
本堂に春休み中のちびっ子が50名ほど集まりました。

人がいっぱいで嬉しいのか、本堂をぐるぐる走り回る子がいたり、
お数珠をブンブン振り回す子がいたり・・・
 
それはそれは、賑やかでした。
 
 
みんなで、 正信偈(しょうしんげ) を唱え
お釈迦さまに甘茶を順番に掛け、自分たちも甘茶を飲み、
そのあと腹話術と人形劇(となりのたぬき) を見ました。
で、最後に子どもたちはお菓子のお土産付き!
 
このお菓子が、これまた豪華で大きな袋いっぱいの駄菓子。
これは子供たちも腹の内で 「しめしめ」 と思ったことでしょう。
 
 
わたしは生まれて初めて甘茶を飲んだのですが、その味にビックリでした。
これまで甘酒の類だと勝手に思っていたのですが(スミマセン・・・)
見た目は麦茶より少し薄い色で、味がかなり甘い!!
今までに味わったことのない味です。

なんとアジサイ科の植物を煮出して作るようです。


甘茶はお釈迦さまが生まれたときに甘い雨が降ったことにちなんで。
庭の椿で綺麗に彩られた花御堂は、お釈迦さまがお生まれになった
ルンビニーの花園をなぞってのこと。
 
 
どれもちゃんと意味があるんですね。
 
 
お釈迦さまのお像は
右手を上に掲げ、左手は下を指しています。
 
天の上にも下にも我のみぞ尊い。 
「誰一人として同じ命はない、尊い存在だ」 というポージングのようです。
 
 
さて、来年の花まつりも今から楽しみです。
 
 
 

2014年3月24日月曜日

自分のために



先日、久しぶりに会った年下の子に

「ブログの更新が継続できるなんて、すごいですね。」

と言われた。



言われてみれば、確かにそうだ。
何のために日々更新しているのだろう。
あまり考えたことがなかった。


おそらくその答えは
「忘れないため」 がまずひとつで、
もうひとつは 「居場所づくり」 なんだと思いました。


モノゴトは諸行無常で、
日々、自分も周りも変わっていく事は心得ているけれど、
過去の自分の感覚を置き去りにするのがとても怖いです。
盲目になることをとても恐れています。

だから今の自分を 「忘れないため」 にやっているんだと思います。



ならば、日記でいいんじゃないか? という事ですが、
そこは私の中の 「かまってチャン」 な部分がスネてしまうのです。


見て見て見てー!
と声を大にするのは恥ずかしいけれど、
ジッとするのも、なんだかヤキモキしちゃうのです。


何となく書いて
何となく見てくれる人がいて
何となく私のことを意識してくれる人がいる。


そんくらいがちょうど心地いいです。
自分の居場所を確保しています。


だから、誰のためにやってるかって聞かれたら、
やっぱり自分のためです。


堪忍え。




2014年3月22日土曜日

お彼岸

 
 
「暑さ寒さも彼岸まで」
なんていうのはウソですね。
とても寒い風が吹くなか、お墓に行ってきました。

これまで、「お彼岸にお墓参り」 という習慣に
親しみが無かった私は、「春は牡丹餅で、秋がお萩」
くらいの事しか知りませんでした。
 
 

向かった墓地は名古屋市内にある 「平和公園」。
見渡す限り、お墓のオンパレード。
 
空襲で燃えた戦後の区画整理で
名古屋市内のお寺のお墓は、この平和公園に集められました。
(名古屋の道路が広いのは、この区画整理のお陰)
その規模、東京ドーム31個分というから驚きです。
 
 
今日は、3時間くらいお墓にいて
相方はお参りに来られたお檀家さんのお墓の前で順番にお経を唱えていました。
わたしは墓地の管理費を集めながら様子を伺っていました。
 
 
お墓のあちこちから、お線香の煙が上がる中
小さい子連れのご家族や、妊婦さんの姿もありました。
 
 
「命がずっとつながっていくんだなぁ」
墓地の景色から、そんな事を感じることができました。
 
 
 
クリスチャンの私の家庭では
定期的に家族揃ってのお墓参りがなかったので、
お彼岸っていいなぁとシンプルに感じました。
 
 
 

2014年3月19日水曜日

飛ぶトリ

 
昨日、朝目覚めたらウグイスの鳴き声が聞こえました。
「ホーホホケキョッ」

まだ練習不足のようで鳴き方はヘタクソでした。
いよいよ、春ですね。 
 
 
先日、日曜日に教会に行ったら聖書の言葉がストンと腑に落ちました。
こういうふうに素直に飲み込めるというか
その時ちょうど言葉が心に入ってくる機会というのは正直時々です。
 
 
空の鳥をよく見なさい。
種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。
 
 
という言葉でした。
人間が鳥よりも価値あるものと決めるのは
鳥に対してずいぶん失礼な話ですが、
伝えたいことは、たぶんこうなんでしょう。
 
種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない鳥たち
その存在そのものが毎日神様に支えられて自由に飛んで暮らしている。
 
ならば、人間も神さまが守らないはずがないわけだと。
だから何も思い悩むこともないし、注がれている神様の恵みに目を向け、
精一杯に生きることが大事ですよ。
 
 
 
明日また震災が来るかもしれない…
明日自分が死んでしまうかもしれない…
 
 
色んな不安が浮上しますが、やっぱり思い悩んでも仕方ない。
悩んでもどうにも解決できない。
 
神様か仏様か人によって違うと思いますが、
その大きな懐にどっぷり甘えて、
 感謝を忘れず、目の前の事を毎日
ちゃんとやってく事が大事なんだと思いました! 
 
 
 
 
 

2014年3月18日火曜日

ごはん


わたしの父親はモノを大切にする人で
気に入ったら思い切って高い買い物をしますが
その分ビックリするくらい長く愛用します。

我が家でその確固たる地位にいらっしゃるモノが
この 「炊飯器」 であります。

父親が独身時代から使い、しかも人から譲り受けたという代物。
つまり、ゆうに30年選手ということになります。

前に、とある場所で 「昭和の暮らし」 という展示ブースがあり
そこに同じ炊飯器が堂々と佇んでいて、失笑しました。
昭和ってそんなに遥か昔の話ではないのに、ね。


保温機能ナシという、この男前な炊飯器を使う様子を見かねてか、
祖母が別の炊飯器を(しかも大家族には嬉しい一升炊き) 譲ってくれた時もありましたが、
一口たべて 「米がマズイ」 で意見は一致し、あっけなく却下となりました。

知らずのうちに、このレトロ炊飯器の米の味を舌が記憶していたのです。
まぁ、そんな話はともかく


近頃のわたしは、新生活に向け
炊飯器でずいぶん頭を抱えていました。


米はたぶん土鍋で炊くのが一番おいしいハズだ
でも、鍋で米を炊くなんて片手で数えられるくらいしかやったことないじゃないか
炊飯器で慣れてきた人間にとってハードルが高過ぎる。。
鍋でいちいち炊くのは時間も手間もかかりそう…
第一、分厚い鍋の中の様子を、蓋も開けずじっと想像しながら火加減するなんて…
もしも、もしも仮に炊飯器を買うならやっぱり良いのがいいなぁ
でもそういう最新炊飯器は結構お値段も高いよね、、
買うなら増税前でしょ。いつ買うの?今でしょ!


みたいな感じで、1ケ月くらい悩みました。



で、とうとう答えを出しました。


「土鍋で炊いてみる。ダメだったら炊飯器を買う!」


です。



さて、どうなることでしょう。
米は主食と言うくらいだから、自分の体を、そして命を一番支えてくれている頼もしい存在。
真っ向から勝負してみようじゃないか!と腹をくくることにしました。


ドキドキ。。
新生活しょっぱなから、「テーブルにおかずだけ」 の日が続きませんように。





2014年3月17日月曜日

お礼

ブログをご覧下さった方へ


先日更新した 「お嫁入り」 の記事についてです。
あの記事以降、事態が急変しました。

知らない方から突然励ましの連絡をいただいたり、
随分ご無沙汰な友人から連絡をたくさんいただきました。
同じ世代のお坊さんからも連絡がありました。

思ってもいないことでした。

何気なくチェックしたアクセス解析も
あまりの数値の高さに、思わず2度見してしまいました。
以前販売の仕事をしていましたが、TV(関西圏くらいの放送規模)で
お店が紹介されたときぐらいのレベルです。

独り言のつもりで書いていたブログが
ひとときの事とはいえ、どんどん一人歩きして
嬉しさを超えて、ただただ驚いています。

どうしよう、責任重大…という気持ちもあります。


決して偽善でやってるつもりはないので
今後も自分のことを、ありのままの心境を気ままに書いていきます。
またいつでも覗いてやってください。


たくさんのエネルギーを頂戴し、有難うございました。

2014年3月13日木曜日

Imagine


 
チャリティーのコンサートがあったので、出かけてきました。
 
震災の被害に遭われた在日フィリピン人を支援するための企画で
入場料の1500円が寄付されるというシステムでした。
会場内はフィリピンの方が600名くらいで大盛況。
 
 
場所は東別院(名古屋)というお寺が所有しているホールでした。
 
 
よくよく考えれば、フィリピンは8割くらいの方がカトリックのクリスチャン大国。
私の地元・滋賀の教会にもフィリピン人が多くいらっしゃいます。
フィリピンの人は互いに絆が深く、大きなファミリーという感覚をお持ちで、
教会という場をとても大切にされています。
 
 
そういうカトリックの信仰の深い方々が
宗教を超えて、お寺のホールで楽しまれている光景は
とても微笑ましく思いました。
 
 
ちなみに相方はステージでバンド演奏をしました。
バンドメンバー6人中、4人が僧侶です。
宗派もバラバラです。
 
 
ちょうど演奏された曲が気分にぴったりでした。
Imagine~♪
 
 



2014年3月12日水曜日

天使と悪魔

 
天使と悪魔を信じますか?
わたしは幼い頃ずっと信じていましたよ。
 
 
背中のうしろに目には見えないけれど
妖精みたいな天使と悪魔がいて、2人はいつも戦っていると。
で、悪いことをしたときは悪魔が勝っている時。

親に教わったのかな?

なので、自分とそっくりな顔をした小さな天使と悪魔がいて
刀をブンブン振って戦っていると思っていました。
 
だからなのか、悪いことをするときは
背中のうしろをこっそり振り返ったものでした。
(もちろん見えないけれど)
 
 
 
最近、通り魔事件とか恐ろしい事件が多くてゾッとしています。
たぶん犯人の背中で悪魔が圧勝していたんでしょうね。
 
でも、誰しもが悪魔を発揮したことがあるし
大きかれ小さかれ、これまで罪を犯してきたと思います。
 
育った環境やいろんな状況が
たまたま悪い方向に縁が重なって
悪魔がどんどん勢力を増してしまったんだと思います。
 
 
どうしても、こういう事件の犯人を
自分とは切り離して考え勝ちですが
本当はそうじゃないなと思えるようになりました。
 
 
同じ 「人間」 という器に入っている以上
自分も環境次第でやりかねないかもしれません。
 
 
日々弱くてもろい人間であることを心得たいです。
 
 

2014年3月11日火曜日

お嫁入り




唐突ですが、自分の結婚について書きます。

今月入籍から~の、来月結婚を控えていて
お相手のおうちにどっぷり入る、なんだか昔ながらの嫁入りという感じです。

以下長文です。。


***


結婚相手はお坊さんだったりします。

相方が京都に住んでいたとき、お互い趣味で通っていたギター教室で知り合いました。
蓋を開けたらお坊さんだったという感じです。
なので彼の実家・名古屋のお寺(真宗大谷派)に嫁ぐことになっています。
住宅街の中にある地域のお寺です。

彼は副住職(正式には若院と言うらしい)でゆくゆく後継ぎの長男さん。
私はお寺で坊守(ぼうもり)という立場になり、おくりさん(東海限定?)という
愛称で呼ばれるようです。


ご存知の方もいますが、私はクリスチャン(カトリック)です。
両親も親戚もみんなクリスチャン。
父親は長崎出身なので、元祖クリスチャンの血がうっすら入ってる感じです。

そんなクリスチャンネーム・マリアな私がお寺に嫁ぐというのはなかなか珍しい事かもしれません。
小さい頃から日曜日は教会に行っていたし(中学時代からサボり始めたけど…)
夜寝る前は家族そろってお祈りの時間がありました。
だからなのか周りから「改宗するの?」とよく聞かれます。

改宗というのは住民票を移すような感覚に似ていて、
その本人が思う故郷はまた別だったりするかもしれません。
改宗について両家とも驚くほど気にしていなくて
できればこれまでの私の礎を築いたキリスト教も、これから出会う仏教も
どちらも大事にしたいというのが今の私の本音です。
欲張りでしょうか…。


彼が私の実家に遊びに来て一緒にご飯を食べる時
うちの父のリクエストで仏教の食前の祈り(言葉?)をすることがあります。
そのとき私の一家も手を合わせます。
祈るのも唱えるのも拝むのも手を合わせるという見た目には同じフォーム。
なんだかいつも不思議な気持ちになります。

よく宗教は 「山」 に例えられ、目指すべきところは同じで、
宗教・宗派によって登るルートや手段が違うと言われたりします。
本当にそうなのかもしれません。

なんだか我が家の食卓は平和な光景です。



「彼氏がお坊さん」 と知人に話すと 「滝に打たれている」 とか
「祇園で遊んでいる」 といった偏ったイメージを持つ人が案外多いです。
それだけ接点が無いのかもしれませんね。
(お坊さんってお寺を守るため、家族旅行できない人も多く、本山の多い京都に来た時くらい羽を伸ばしてもいいじゃない?という個人的見解アリ。笑)


実際わたしの彼は一見するとお坊さんに見えないし
フツーの若い兄ちゃんって感じです。

中身はいたって地味な人で、たまたま彼の宗派には修行がなく
お肉も食べますし、頭の髪もフサフサ生やしています。
彼と出会ってから、お寺・仏教・お坊さんは
宗派と各お寺によって全然違うんだなぁと思いました。
街に色んな電気屋さんがあるように、お寺も千差万別です。


お寺に嫁ぐことに関して 「大変そう…」 とか 「よく覚悟決めたねぇ」 と心配されたりもしますが、
何もはじまっていないので、大変かどうかサッパリ分かりません。
持ち前の底抜けなポジティブ思考のお陰で、「なるようになるやろ~」 と思っています。
バカも振り切れば得することもあるもんです。


最近の仏教や日本のお寺は
ネガティブな意味で 「葬式仏教」 という表現をされます。
お葬式や法事を通してしかお寺と接点が無い。
これってちょっと残念やなぁと思います。

確かにわたしも観光寺院にはお金を出して行くけれど
地域のお寺にひょっこり遊びに行ったことはありません。
逆に教会はふらっと気軽に立ち寄る事が多いです。
河原町教会(ロイヤルホテルの横)は買い物途中の私の休憩スポットです。
綺麗なステンドガラスがあって、とても静かで
あのヒンヤリした空間はボーっとできて最高だったりします。

だからお寺ももう少し身近な存在でありたい。
そのためには、やっぱりお寺サイドの努力と工夫が必要なのかもしれません。

彼のお寺に訪ねると、本堂もお庭もいつも綺麗に掃除が行き届いていて、
お手伝いに顔を出すおばちゃん達はお寺に来るのが楽しみで仕方が無い感じで、
お義母さんの気の効いた接客応対にはいつも驚かされるわけです。
そんな素敵な場所なのに勿体ない…って正直思います。


お寺の可能性、すごく信じてるんですけどね。



わたしは高校生のころから
「ええ感じの主婦になりたい」 という夢があって
散々まわりに 「カリスマ主婦になる!」 て言いふらしてきました。
今から考えたらすごく恥ずかしいけれど、今もそれが私の夢です。
そんなこともあって大学は衣食住を学べる家政系の学科に進みました。

私の中の 「ええ感じの主婦」 っていう定義はシンプルだけど
「いつでも元気で明るいお母さん。精神的に健康なお母さん」 です。

お母さんが元気だったら子供も嬉しいし、楽しくなる。
旦那さんだって仕事や育児、頑張ろうかなって思えると思っています。
だから主婦が家庭を救うことができるし、元気な主婦が増えたら日本の未来は
もっと明るくなるんじゃないかなぁって真剣に思っています。


お寺でどんな形になるか分かりませんが
そんな主婦や女性を省くむお手伝いができたらなぁ…て漠然と思っています。
それにお寺や仏教を通して普段の生活をより主体的に過ごせる人が増えたら万々歳やなぁと。

そのためには、私自身まだまだ成長しなければいけない。
やっぱりヒトとして魅力が無いとスタート地点に立てないと思うわけです。
これから私の人間力、ますます試させられるな…って思います。


ボチボチですが、ぐるぐる考えながら歩んでいきます。






2014年3月9日日曜日

名古屋はいつも晴れ


名古屋に来るといつも晴れている。
京都や滋賀で雨模様だったり、どんより曇り空でも
名古屋に着いたらカラッと晴れている。

なんなんだ?

いつも不思議に思う。
曇り知らず、雨知らず。


前に私のことを
「晴れた日にカラッと乾いた洗濯物みたい」
って表現してくれた知人がいますが、
名古屋の人もそんな人が多い気がする。


湿度を好まない。
回りくどくない。
単純明快。
よく笑う。


カラッ。


あっぱれ!



2014年3月8日土曜日

平和堂



地元の滋賀県では平和堂がたくさんあって
買い物 (とくに食料品) はもっぱらお世話になっています。

わたしはそこまで愛着を持っていませんが
うちの両親は平和堂にゾッコンです。

先日は
「あんたユニクロのヒートテックそんなにええか?平和堂の方がすごいで」
と言われたり

「平和堂はイトーヨーカドーとかイオンとは別格」
と言い出したり。

両親によると
陳列のこまかな工夫だったり
売られているモノの質がぜんぜん違うそうです。

極め付けには
「平和堂はセレクトショップやで」 って言うてました。


そういえば、近所のおばあさんが
「平和堂のかぼちゃはめっちゃ美味しいんやで」
と言って、曲がった腰で頑張って買いに出かけておられたのは
とても印象に残っています。(年寄の女性はとくに南瓜大好物)


地元民に愛されるお店ってイイネ!

2014年3月6日木曜日

包装紙



包装紙をコレクションし始めて1年も経ちませんが
けっこう色々と集まりました。
 
ニヤニヤ眺めやすいように
パンチで穴を開けて大きなファイルに綴じています。

ファイリングするときの並び順も
配色が綺麗に見えるようにとか
似た文様で並べてみたりとか
あーだ、こーだやって結構遊べるもんです。
 
手土産でいただいたお菓子の包装紙も多いので、
眺めているうちに思い出も蘇って、旅したような気分にもなれます。
まぁ、それはごくごく稀ですが。(さっぱりいつのか分からないものがあるのも事実)
 
基本的に和菓子の包装紙が多いです。
意匠もいろいろで楽しい。
 
過剰包装は反対派ですが、
やはり贈り物はきちんと包まれていると嬉しいですね。
 
モノだけでなく気持ちも包んでくれる包装紙。
それは、美味しい料理を引き立てる器だったり
女性をより美しく見せるキモノにも通じるかもしれません。
 
日本人としての美意識を感じます。
 
 
さて、今後どんな包装紙と出会えるかな。
あまりお金もかからないので、長く続けられそうな趣味です。
時々、包装紙のために買い物しそうになって危ないときもありますが、、
 
 
また、お気に入りをピックアップして紹介できたらと思います。
 
 

2014年3月4日火曜日

ゆめ



寝てるとき、けっこう夢を見ます。
とくに最近は毎日のように。

先日は火事の夢でした。
夜遅くに寮みたいなところに帰ってきて
何気なく裏口から外に出たら蛍みたいな光が芝生の上に舞っていて
振り向いたら建物の2階部分が火事になっていました。
だから、あれは蛍じゃなくて火の粉やったんです。

で、急いで非常ベルを押して、廊下で逃げろーって叫んで・・・
そこで目が覚めました。

起きたら布団の中でガサゴソ。
ケータイですぐさま夢占いでキーワード検索します。

火事の夢、吉夢だそうです。

よっしゃ!


**


次の日は兄弟でパンを食べている夢を見ました。
なんともシュールです。

弟が大手のパン屋(実際はアパレル会社勤務やのに)で働いていて
そこの会社見学に兄弟で出かけるんです。
で、食堂でパンが選び放題、食べ放題で・・・
「どれ食べるか悩む~~」 とか言いながら皆で幸せそうにパンを食べていました。

さっそく夢占い。


パンを食べる夢は、健康状態が良好な証拠だそうです。

よっしゃ!!


**

今朝は爪が剥がれる夢を見ました。
小指の爪にゴミが挟まっていて、取り除こうと爪を触ったら
ポロッと小指の爪が全部剥がれました。
とくに痛くありませんでした(当たり前か)


またも夢占い。


急なアクシデントが起こる暗示・・・


無視!!!



2014年3月3日月曜日

商売



今日は信楽に出かけました。
信楽駅の近くに母親の知人が作り手で頑張っているお店があります。

私はそこの娘さん(私の1コ下)の繊細な絵付けに心奪われて
思わずケーキ皿をオーダーして帰ってきました。


私に似合わず乙女な花柄なんですが、
ケーキ用だから、日常ではなくハレの日のもの。
よそ行きの張り切ったワンピースぐらいのでちょうどいい塩梅です。

「この図柄で直径30センチで台座があって。切りやすいようにフラットな形で、納期は急ぎません」
なんてことを言って、大人な買い物をしてしまいました。


はぁ、届くのが待ち遠しい。
ぜったい大事にするのです。

最近、良い服を買うよりも
何度見ても飽きない、気に入った食器を揃えたいって思います。
食に対していよいよ貪欲になった証拠です。
でも食べるって一番大事なことだから、ね。




さて、そこの奥さんと私の両親を交えて
かれこれ1時間以上話し込んでしまったわけですが、
話題は 「商売って難しい」 という事について。


信楽焼きは全盛期のおよそ2割の売り上げだそうで
どんどん厳しい状況に追い込まれているようです。

娘さんの絵付けは世界観があって
作家さんとして十分にやっていけそうな気もするのですが、
作家としていろんな土地で個展や催事に出展するには労力の負担が大きすぎる。
なにしろ作るだけでなく、マネジメントの能力も問われる。
そんなことをしていたら、モノづくりが疎かになりそう。
そもそもメディアに出ているような作家さんも地道な活動をねばってやっとのこと。
売れてほしいけれど、流行でひととき売れるようなことはしたくない。
本当に欲しい人の手に渡ってほしい。


いろんな想いが交錯。

今のところ、自分の店で大人しくコツコツやるのが一番いい。
という考えで落ち着いているようです。


それにしても、せっかくステキな作品、WEBで検索しても全然出てこない。
お店も、隣の作業場で制作しながらの営業なので、ちょっと入りづらい。
なんだか歯がゆい。


私にできることは
ただただ温かくその家族を見守り、
届く器を日々大切に使っていく。


今日のところ、そんな考えで落ち着きました。



2014年3月1日土曜日

くまさん














はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやりかんがえた

さいているのはタンポポだが
ええと ぼくは だれだっけ だれだっけ

はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやり かわにきた

みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくは くまだった よかったな



***


小学1年生の国語で習ったくまさん。
ちょうど春が待ち遠しいこの時期に
不思議と口にしてしまいます。


リズミカルで、ほんわかしていて
深い意味があるのかないのか
そのことはちゃんと分かっていないけれど、
くまさんはずっと私のお気に入りです。


まど・みちおさんのご冥福をお祈りいたします。


ちっぽけなヒト

















くまモンは何も関係ないのですが
今日はちょっといい話を聞きました。


ある凶悪な殺人事件で娘を亡くした母親が
犯人への憎しみを消すことができず
「犯人に極刑を」と署名活動をしてまわったそうです。

母親の知人は当たり前のようにサインをしたようです。
でも、ある方は断りました。

「あなたも同じ罪を犯すのですか?」

と尋ねたようです。


やられたら、やり返す。
それでは何の問題の解決にならないと。

ほんとうに、その通りです。

それでも、ヒトは我が身に振り掛かると
振り子が狂って、過ちを犯してしまいそうになります。

ほんとうに、その通りです。
ほんとうに、ちっぽけです。


続けて話を聞きました。

よく年を重ねると
「子供たちに迷惑は掛けられないから、無理言えない」
みたいな事を口にするけれど、迷惑掛けてないって誰が決めたんだって。

迷惑掛けるけどごめんね、いつもありがとね。
って言えばいいじゃんって。


自分の尺度で
自分の都合で図ろうとすると
どうにもうまく図れないことばかり。

いつも我に返って
いつも許して
いつも感謝して


ちっぽけであることをちゃんと受け止める。
そんなことを思い知った日でした。

2014年2月24日月曜日

かわいい手芸

 
これまで下田直子さんという作家を全く知りませんでしたが
母に勧められて展示を見に行ってきました。
 
それが予想以上にステキな展示でした。
 
刺繍、編み物、ビーズ、フェルトを使って
鞄や服やアクセサリーなどなど。
そのどれもが図案の段階からすべてオリジナル。
 
「そこまでするの?」 っていう程すごく緻密で
ため息がでるような可愛い作品が並んでいました。
器用な人ってこういう人の事です。
 
 
 
 
先日、バス停で見知らぬオバサンに
「あなたのコート、すごく変わったデザインね」 と声をかけられました。
 
聞けば、その方のコーディーネートはすべて手作り。
いつも街行く人の服をチェックして参考にしているらしい。
 
今は安くで何でも手に入るけれど、昔は作るしかなかったからねぇ
昔はミシンが無いとお嫁に行けなかったわよ
 
 
と教えてくれました。
 
すごいなぁ・・・
言われれば、自分の母親も祖母もよく手作りしてくれたっけ。
 
私はあんまり手先に自信が無いし、
大学の授業で作ったブラウスやスカートもかなり悪戦苦闘した。
 
めちゃくちゃ時間をかけて作った、ブラウスとスカート。
でも一度も着ずに箪笥の肥やしになっている。
 
袖を通さない虚しい服。
でも、手を動かして作ったあの苦しい時間が
服の価値を、服ができるまでの背景を教えくれました。
あの時、「海外で安い人件費で作られる服ってどうなの?」 ってはじめて考えました。
 
 
だから、下手くそでも、実用性がなくても
手を動かして、作ってみて、ちょっと考えるって大切だなと。
 
 
下田直子さんの作品を見て、とても真似はできないけれど
「久々にやってみるか!」 って少しだけ思いました。
 
 
 

2014年2月21日金曜日

鳩のシュガーポット

 
長野の善光寺近くのお店で
可愛い鳩のシュガーポットを買いました。
 
白樺の木をくり抜いて作られていて、
シッポの部分はスプーンになっています。
 
久しぶりの一目惚れ。
 
 
添えられたリーフレットには 「農民美術」 という文字が。
 
寒い季節、畑仕事ができない農家の副業として
大正から昭和にかけて、上田地方で特に発展したようです。
 
そういえば長野は民芸モノも多い土地。
次は民芸店が多い松本にも訪れたい。
 
 
さて、このシュガーポット
可愛いルックスとは裏腹にお値段は少々お高め。
なので意を決しての購入でした。
 
家に帰って、ネットで調べたら通販などでは手に入らず
限られたお店でしか売っていない事が分かりました。
こういうの嬉しいな。
 
「また気になったらネットで買えばいいし」
そんな言い訳が通用しない、その土地でしか買えないモノ。
 
 
ますます鳩が愛おしく思えます。
 
 
 
 

2014年2月20日木曜日

なくならない


乗りたいバスが鮨詰め状態だったので
駅まで歩いていたら、とても綺麗な夕焼けを見ることができました。

その夜は驚くほど明るくて優しく光る大きな満月でした。


祖父が亡くなった知らせを受けた日でした。


わたしが中学生くらいまで
住まいは違えど、ほぼ毎週顔をあわせていた祖父でした。
50代で不慮の事故に遭い、半身不随の障害を持つ祖父でした。

ベレー帽が本当によく似合う祖父でした。
上手に口を動かせず、たくさん話した記憶はありません。
いつも穏やかに見守ってくれている存在でした。

リハビリを続け、左手で書道や油絵、
詩吟や謡曲にチャレンジする姿をずっと見てきました。


昔は本当に厳しい人柄だったようで
中学校の英語の教師をし、剣道部の顧問をし、
道徳教育に力を入れ、全国から講演に呼ばれるくらい話が上手い人だったようです。

その前は船舶機関士の仕事をしていたようです。
海では得意のバタフライでどこまでも泳げる人だったようです。


とても努力する人でした。
そしてとても温厚でした。


祖母が亡くなった時と同じ、長野にある教会でのお葬式。

豪雪で厳しく冷えた長野でしたが
お葬式はとても温かで感動的でした。


キリスト教では 「死は神様の元へ、永遠の世界へ導かれる」 という解釈です。

おわりではなく、はじまりです。
悲しみではなく、喜びです。


おじいちゃんを亡くした今
ますます強く生きていけそうな気がします。


本当にありがとう。



2014年2月17日月曜日

長崎にて(4)

 
 
長崎で気になったフルーツ 「ザボン」。
ドッチボールができそうなくらいの大きさです。
 
 
大浦天主堂の近くには 「ザボン専門店」の土産物屋 があり、
大きいものは一つ1000円くらいと値段も高め。
 
 
そのザボンのことが旅の間ずっと気になって
「買って帰るべきか?でも大味で美味しくないのかも?」
「でも生きてるうちに食べれるか?」
「次いつ長崎に来れるのか?」
 
とぐるぐる考えて、結局最終日に2つ買って帰りました。
しかもスーツケースには入らず、手持ちで大切に。
 
それにしても、ザボンのすこぶる重いこと。
たっぷり水分を含んだようなズンとした重さです。
 
思わずいつもお菓子作りで使っているデジタル量りではかったらエラー表示。
仕方なく、体重計に乗せたら1つ1.2キロ。
そりゃ思いわけです。。
 
で、ネットでこの子について調べました。
そしたら 「買ったあと1か月くらい熟成させると渋みがなくなり美味しくなる」
と書いてありました。
 
 
ほんまかいな。
 
 
とりあえず、いつもミカンを10個くらい盛っている果物入れの籠に
堂々たる佇まいで熟成しております。
 
 
というか単に放置プレイですが。
美味しくなぁれ!
 
 
 
 
 

2014年2月16日日曜日

長崎にて(3)

 
あれはマジックなのか? 超能力なのか?
長崎でとても不思議な体験をしました。
 
 
4次元パーラー 「あんでるせん」 という喫茶店に行きました。
1年くらい前に知人から熱烈に勧められた場所です。
 
長崎からシーサイドライナーという名の通り海の真横を走る電車で
1時間ほど離れた場所です。
 
観光地でもなんでもありません。
びっくりするくらい田舎です。
 
 
約束の午前11時過ぎにその店に入ったら
すでに15名くらいのお客でにぎわっていました。
店内はかなり古いです。タイムスリップしたような空間です。
 
とりあえず喫茶店なのでミックスピザを注文し、
隣に座っていた女性(東京から来たリピーターさん) と話ながら食事を済ますことに。
 
12時半ごろに店のオバサンが
「ショーがはじまる前に順番にトイレを済ませてください」
という声が響き、みんなソワソワし始めました。 
 
 
13時すぎにマスターが登場してついにショーのはじまり!
 
 
カウンターで、私は椅子に座るようオバサンに指示されたのですが、
残りの10名以上の人は2時間くらいのショーの間スタンディングです。
 
 
で、ショーの内容は
 
トランプ52枚の並び順を瞬時に記憶し、何番目にどんなカードが並んでいるか当て
人差し指の上でペラペラのお札を立て
(しかもお客さんに角度を指定してもらって20度とかで傾けたり)
硬貨をバリバリ食べて、フッと息をかけたら元通りにし
お客さんがぐちゃぐちゃにしたルービックキューブを目隠しで元通りに7秒で直し
お客さんの生年月日を当て
お客さんの名前を漢字まで当て
 
 
私は 「あなたは宗教関係のお仕事が向いている」 と言われ
結婚相手の名前を漢字まで言い当てられました。
 
 
・・・ワケわからんの連続でした。
ちょいちょい人生論のような有難い話も挟みながら軽快に繰り広げられます。
 
 
11時にお店に入って、店を出たのは16時すぎ。
異次元に行ったかのような、あっという間の出来事でした。
 
 
 
あれはマジックだったのか、聴能力だったのか・・・。
 
 
気になる方は行ってみてください。
予約は電話で2か月前くらいにするのがベターです。
 
 
ちなみにお代はミックスピザの飲食代だけでした。
 
 
 

2014年2月15日土曜日

長崎にて(2)

 
長崎に訪れたとき
旧暦のお正月で中華街周辺や繁華街に
色とりどりのランタンの飾りが たくさんありました。
 
長崎一番の観光シーズンだそうです(洋菓子屋のおばちゃん談)
 
 
長崎の街は2年前に行った鹿児島と雰囲気が似ていました。
たくさん坂道があって、路面電車が走っていて、街が海に面しています。
 
街自体すごくコンパクトで
道行く人を見ていると穏やかな感じの人が多く
高校生もスレてる感じの子がいなくて
街も人も、どこかレトロな雰囲気。
すべてにおいて可愛い印象を持ちました。
 
 
 
初日の夜、古いおでん屋さんで夕飯をいただきました。
(コの字カウンターで、吉田類が前に取材で来ていたことを後で知り、自分の嗅覚に驚く)
 
 
隣に座っていた仙台から一人旅中の男性から
 「軍艦島は行くべし!」 と教わり、翌日迷わず軍艦島に行きました。
(おかげで船酔いでヘロヘロに)
 
 
お食事に来ていたご近所の年輩夫婦ともカウンターでお話ししました。
 
 
会話の中で、路面電車のことを「電車」
JRのことを「列車」 と話されていました。
 
 
なんだか可愛い。
やっぱり色々可愛い長崎でした。
 
 

2014年2月14日金曜日

長崎にて(1)


 
長崎から帰ってきました。
教会は4つ巡ることができました。
 
たまたま長崎にいた2月5日は、二十六聖人の殉教日と重なり
記念ミサ(礼拝)にも参列することができました。
 
 
禁教令によるクリスチャンの迫害と弾圧
そして多くの殉教者の死。
 
これまで、残忍で悲しいこの出来事を
自分のなかでは 「暗くて重い過去」 だと解釈してきたのですが
実際長崎では 「明るくて前向きな歴史」 という空気が漂っていました。
 
殉教は 「自分の信仰の強さを表明するもの」 ではなく
「命をかけて神の愛を明らかにする行為」 だそうです。
これはキリスト教の基礎知識が無いとなかなか理解し難い思考なのですが、
ともかく当時の殉教者はどんな苦しい戒めにも
前向きに耐え、そして生き生きと亡くなっていったのです。
 
 
一粒の麦が地に落ちて死ななければそれは一つのまま
     しかし、死ねば豊かな実を結ぶ
 
という聖書の言葉(ヨハネによる福音)があるのですが
一人の犠牲によって多くの人が救われるという意味です。
つまり、殉教者の死によって多くのクリスチャンはより一層信仰を強めたんだと思います。
「キリストの愛は永遠」 とか言ったりするんですが、
「死ねばおしまい」 という考え方ではないのです。
 
 
まぁ、説明するのがとても難しいのですが
今回の旅でキリスト教のことを少し深められた気がします。
 
 
殉教の歴史だけでなく
命からがら日本にやってきた宣教者たち
信仰を守るために僻地に移住し開墾しながら貧しい生活をした人々
すべての私財を投じて教会を建てた人々
司祭も教会も無くして250年(だいたい7世代くらい)信仰を守り続けた人々(信徒発見
信仰を守るために独特な文化を作った隠れキリスタンたち
 
 
 
何が正しいとか
どの宗教がいいとか
私にはまだまだ分かりかねますが
あまりにもピュアで、一途なクリスチャンの勇姿に心洗われました。
 
 
 
写真:大浦天主堂
行った場所:大浦天主堂・大浦教会・中町教会・浦上天主堂・聖フィリッポ教会・日本二十六聖人記念館
 
 
 

2014年1月31日金曜日

長崎へ

 
 
「結婚前にやりたい事をやった方がいい」
 
 
そんなことを言われて、随分考えあぐねました。 
そうだ、遠くに住んでいる友達に会いにいこう!と思っていたのですが
よくよく考えて父の故郷・長崎に向かうことにしました。
 
 
4泊5日のひとり旅。
さて、どんな旅になることやら。
 
 
旅の準備にと、長崎の本を数冊読みました。
隠れキリスタンが迫害された悲しい歴史を持つ長崎。
20~30万人の人が殉教したようです。
(正しい数が分からず、100万人近いという説もある)
なかには10代の幼い子もたくさんいたようです。
その殺され方もとても惨いものです。
 
温泉で蒸し殺されたり
火あぶりにしたあと刺し殺されたり
指を一本ずつ切り落とされたのち、首に石をつけて海に掘り投げられたり
 
命を捧げてまで信仰を大事にしたのは
ちょっと自分には置き換えられない事態です。
 
それほど、宗教が当時の生き辛さの唯一の救いだったんだと思います。
 
どこまで寄り添えるか分かりませんが、
そんな殉教のゆかりの地や教会に訪ねる予定です。
 
長崎の地は親戚(疎遠だけど)がいる関係で
幼いころに2度くらい行ったように思います。
 
 
自分で行こうと思ったのは今回が初めて。
両親の新婚旅行の地でもあります。
  

2014年1月30日木曜日

山歩き






 
 
 
 
 
 
 
 
 
滋賀に戻ってきてから、父親と2度山歩きに出かけた。
父親は山が大好きで、週末は山に呼ばれているかのようにいそいそ出かける。
 
私も去年秋、富士登山を機に買ったトレッキングシューズがあるので
思わずついて行くのですが、これがまた楽しいこと。
 
気づいたら2人で4時間歩き通していたり
すっかり山道に身体を委ねてしまっているのです。
 
そして滋賀の山は写真のような
磨崖仏(まがいぶつ・石に掘られた仏さま)が点在しています。
この写真の石で高さ3メートルくらい。
 
ずいぶん昔に掘られたものが多いらしく
思わず手を合わせたくなるような佇まいです。
 
 
 
滋賀という土地。
生まれ故郷とはいえ、今まであまり思い入れがなかったのが事実です。
でも最近ようやく好きになってきました。
 
琵琶湖を中心に平野が広がり、そのまわりをぐるっと山々が包んでいる。
松尾芭蕉の時代だったら他県から来た人々は
なんて美しい場所なんだ・・・と感激したことでしょう。おそらく。
 
 
電車に揺られているとき
空も琵琶湖も、向こう岸に見える比良山も壮大で
視界の広さに驚かされます。
 
 
磨崖仏だけが取り残され、今は多くのお寺が消失していますが、
ずいぶんと高尚な地だったんだろう・・・
と近江の国に思いを馳せている今日この頃です。
 
 

2014年1月25日土曜日

ステーキ

玉ねぎのステーキもさることながら、
ほかにも焼いて、塩コショウするだけのステーキ向き野菜がある。

なかでもズッキーニとレンコンが大好き。

ズッキーニが安く買える夏の時期は玉ねぎよりズッキーニの出現が食卓に増えるし、
レンコンはレンコン農家さんがステーキにして食べているのを
テレビで見て真似したのがはじまり。

レンコンステーキは本当にびっくりしました。
だって、レンコンなのにホクホクした触感が楽しめるから。
そして甘みがたっぷり。

縦に切ってきんぴらレンコンにしたらシャキシャキ。
すりおろして、大根餅ならぬレンコン餅にしたらモチモチ。

調理の仕方で同じ素材とは思えないほどの役者ぶり。


あ~れんこんステーキ食べたくなってきた。
これも、玉ねぎ同様になるべく分厚く切った方が美味しい。


しかし最近の私、食べることばかり考えている。
「若い証拠」 という周りの声に甘えよう。

2014年1月23日木曜日

玉ねぎ


 
大好きな料理がある。
いや、あんまり 「料理」 とは呼べないひと品。
 
玉ねぎを輪切りに切って、焼いて塩コショウするだけ。
ずぼらメニューだけど、これが本当に美味しい。
つやつやに透き通ったルックスも美しい。
 
一人暮らしのときによく作っていた朝ごはんメニュー。
玉ねぎひと玉をあっという間に平らげられるから不思議だ。
すごくジューシーで素材の旨味がふんだんに味わえる。
これはもう 「玉ねぎのステーキ」 と名づける他ない。
 
こういう、なるべく手をかけずに
野菜の底力をどっしり感じられる料理(って言っていいの?)を
もっともっと探っていきたいなぁ。
 
輪切り、くし切り、みじん切り。
生だと鼻にツーンと刺激をもたらす玉ねぎでも
火を通せば甘く美味しく様変わりし、
姿、形を変えてどんな料理も頼もしく七変化を遂げる玉ねぎ。
 
 
天才かもしれない。
 
 
 
1.玉ねぎを縦に4等分に輪切りする。分厚いくらいが食べごたえがあっていい
2.蓋付きのフライパンにオリーブオイルをたらして玉ねぎを並べる
3.フライパンに蓋をしてじっくり弱火で蒸し焼きする
4.色づいたら輪っかを崩さないようにフライ返しでひっくり返す
5.塩と黒胡椒を振って蓋をする
6.反対面も焼き色が付いたら出来上がり




2014年1月22日水曜日

思いやりの悲劇

前の記事で、友達のお母さんに怒られた話を書きましたが、
「怒る」 ってめっちゃ難しいなと思います。

わたしは 過去に「怒れない・怒られない状況」 に遭遇したことがあります。
なぜ怒れないのか?


たぶん愛ゆえです・・・


大学生のときに幼児教育の勉強をしていた兼ね合いで
幼稚園に実習で行くことがありました。

若い先生たちにとっちゃ大学生の実習生は面倒な存在。
ビクビクあたふた働いて、やっとこさお弁当の時間になり、一息つけることになりました。
で、私はコンビニで買ったコロッケのお弁当やったんです。

そしたら女の子が近寄ってきて
「先生お醤油入ってるからかけてあげる~」と言ってくれたんです。
お姉さんキャラの可愛い女の子でしたよ。

普段コロッケに醤油、いやソースすらかけたくない私ですが
仕方なく 「じゃあお願いするわ~」 と頼んだのです。

そしたら、ものの見事に鯛に模した醤油入れからドヒャーっと。
終いにはお弁当を持っていた私の手にもドヒャーっと。



これは・・・怒れないよね。




で、もうひとつのエピソードは私がおそらく4歳くらいの話です。


私には兄弟がおりまして、長女の私を筆頭に3人年子がつづくわけです。
私が4歳のときに3歳、2歳の妹がいたのです。

ある日、買い物に出かけたとき
母親はおんぶにベビーカーに大量の買い物荷物を手にして
駐車場に向かおうとしたんです。


で、私が気を利かせて
「自分のおむつは自分で持つ!!」 って言い張ったんです。
大変そうな母親の力になりたかったんでしょう。

でも自分の肩くらい高さがあるおむつの袋です。
そのとき母も 「大丈夫」 って言ってくれてた気がするんですが、
もう私もその気になってたんで、無理やり持って歩きはじめたんです。
駐車場のアスファルトの上をエイッサホイッサ。


結果、車についた時には袋の底がビリビリで、
たぶん2・3枚はおむつをダメにしてしまいました。


不思議なもんです。
頑張って持って歩いていたときは全然気づかなかったんですから。
で、母の顔を見て思わず涙を我慢した記憶があります。



もうどちらにとっても泣けてくる話です。
思いやりゆえの悲劇です。

こういうのってどうやって回避できるんでしょうね。

経験を積んで、空気を読む力をつけて、
余計なことはしないようなセンスを身に付けるのでしょうか。



だれか教えてください。


2014年1月19日日曜日

魔のシュークリーム


好きな洋菓子は何かと聞かれたら、真っ先にシュークリームと答える。
餡子よりも完全に生クリーム派なワタシ。
シュークリームをかぶりつく至福は特別なもの。
 
先日思い立ってシュークリームを夜に作った。
甘いものは決まって夜に(しかも食後に)作りたくなるから不思議だ。
 
 
大好きなシュークリーム。
でもいざ作るとなると恐ろしいシュークリーム。
 
そう、悪夢が蘇るのです。
 
 
小学生のころに友達の家に遊びに行ったとき
そこのお母さんがシュークリームを一緒に作ろう!と誘ってくれたので
3人で台所に立ったんです。
 
で、卵の白身と卵黄を分けながら割るという
小学生にしては難易度の高い技を任されたんです。
で、初っ端の1つ目から失敗してしまい、卵黄が崩れてしまったんです。
 
 
そしたらそのお母さんすごく怒ってしまって、、
 
 
たかが卵のひとつ。
されどニワトリ1匹の命。
とはいえ、そこまで怒らなくても・・・(しかも卵焼きにして食べたらいいやん!みたいな)というくらいの形相で怒られたんです。そのあとシュークリームを無事に作り終えたかどうか、その友達のお母さんに終始ビビりすぎてもう記憶も飛んでしまったくらいです。しかもその事件以来、その子の家すら遊びに行っていないという。
 
 
そんなトラウマを克服して、2度目は中学生の頃に再びシュークリームをリベンジ。
そしてまたしても大失態。
 
シュー生地が膨らまなかったんです。
見た目はペタンコのクッキー。味はかなりダメ。
 
 
 
そして今回、3度目の正直。
かなり勇気を振り絞って、いざいざチャレンジ!
 
 
 
いや~ちゃんと膨らんでくれてヨカッタ!!
レモンのカスタードと生クリームのWシュー、美味しく出来上がりました。
 
 
今回色々調べて分かったんですが、
シュー生地を焼いている最中はどんなに心配でもオーブンの扉を開けてはならないのですね。
開け閉めしたときの温度変化はシュー生地にとって大敵。
 
 
信じてただただ待つ。
そう、 「待つ」 この姿勢こそが要。
 
 
シンプルなことだけど、「待つ」 って難しいよねぇ。
お節介はダメね。
 
 
ほんの少し創作シュークリームの傷が癒えたワタシ。
次はいつシュークリームに挑むのだろうか。
 
 

2014年1月16日木曜日

カラダノタメ


 


 


 
 
 
 
 
 
実家の滋賀に帰ってくる前から、ふつふつと胸に企んでいたこと。
 
 
「体質改善」
 
 
でした。もともと冷え症や肩こりに長年悩んでいて
1か月前には整体の先生に「内臓が冷えている」とまで言われ
とりあえず自分にできることをと思い、ここ半月新しいことをはじめています。
 
その内容がこれ ↓
 
 
・朝晩の白湯
 コップ1杯の白湯を起きてすぐと、寝る直前に
 
・プルーン2粒
  幼いころはミキプルーンを食べていた我が家ですが、今はスーパーで売っている干しプルーンを
 
・1日1納豆
 とりあえず食物繊維の多い大豆は意識して摂取したいと思って、毎日1パック
 
・豆乳をコップ1杯
 写真の 「特濃」 を飲んでいます。近くのスーパーに売ってなくて仕方なくネットで1ダース購入 
 
・カーヴィーダンス
  世間のブームはすでに終わっているかもしれませんが、樫木先生のDVDを流しながら40分!
 
 
 
です。半月続けていてカラダの変化は・・・
 
少し良くなってる気がする
 
という感じです。
この 「気がする」 は私のモチベーションに繋がるので
いつか 「変わった!」 と断言できるまで続けよう。
でも無理は禁物で。
 
 
ちなみにカーヴィーダンスは家で一人のときに踊っているわけですが、
先日踊っている途中で母親が帰宅しまして、
 
「最近カーペットの一部がガサガサになってると思ったらアンタが踊ってる場所や」
 
 
と言われてしまいました。
そんなにドタバタ摩擦を起こすくらい踊ってたなんて・・・
 
 
しばらく床の上で踊ります。。
 
 
 

2014年1月15日水曜日

いろいろな人

昨日のブログ記事を書いてるときに思い出しました。


高校時代の国語の先生のことです。
可愛らしい女性の先生で、当時おそらく40代くらい。

その先生は普段からパッと明るいイメージよりしっとり落ち着いたタイプでしたが、
授業の最中、ふと不安定になる瞬間があったように思います。


国語の授業だから、教科書の文章をノートに清書しなさい
みたいな時間があり、皆黙々とノートにペンを走らせる時間があるわけです。
そんなとき、黒板の前に立つ先生の方をふと見上げると、窓の外をボーッと眺めていて
大丈夫かな・・・といらぬ心配をしたことが何度もありました。
ほかにも何気ない話をしているときにちょっと目が潤んでいたり。
たぶん私以外にも心配に思っていた生徒は他にもいたはずです。

ちょうど先生は旦那さんとの離婚の件でデリケートな時期ではあったわけですが
なんだか弱い大人の姿を、しかも先生という存在で目にしたのはとても新鮮でした。

「先生」 というと、どうも正しく立派なイメージがあって
ちょっと自分とは距離感があって、馴染みにくさがあって
というふうに思っていたわけですが、


なんだ、先生も悩んでるんや。


みたいな変な安心感があの時はありました。
最近よく思いますが、なるべく小さい頃からまわりにいろんな種類の大人がいた方が
人の成長のためにはいいな~なんて思います。

もちろん正しい姿ばかりじゃなく
反面教師にできるような人も必要だし
ひと癖ふた癖あった方がいいかもしれません。

滋賀に帰ってきて
住宅街に住んでいるのに、昼間はみんな仕事をしているのか
出歩いてもぜんぜん人の気配を感じません。


残念やなぁ。


なるべく人に会いに行こう。

2014年1月14日火曜日

お習字




 











先日、筆と和紙を買いました。
鳩居堂に行ったらたくさん種類があり、どれがいいのかサッパリ分からず
店員さんに勧めらたものをそのまま買って帰りました。
私が買ったのは仮名用ではなく、漢字に向いている細筆だそう。

習字をやるのは実に20年ぶりくらい。
何年か続けていたのに、まったく自信がありません。


字を書くときに昔のことをふと思い出すことがあります。
あれは高校生の国語の授業のときの事です。

先生は 「字は上手じゃなくていいから丁寧に書いてください」 と口にしました。
字に自信がなくても丁寧になら書ける。
そう思ってうれしくなりました。

音楽の授業のときは 「上手な演奏より上手い演奏を」 とも言われました。
「じょうず」 と 「うまい」 は、ニュアンスの違いと言えばそうかもしれませんが
なんだか 「うまい」 の方が土臭くていい。
そして「うまい」 の方がどこか性格が宿ってるように聞こえる。
 
 
というわけで、「丁寧」 に 「うまい」 を心がけて励んでみよう。